おうち時間で次の戦略を練る。【ブログ休止のおしらせ】

(フォトグラファー・古性のちさんのフリー画像を使わせて頂きました)

自粛が長期化するおそれを帯びている。朝決めたことが夕方には変わってしまう可能性もある。そろそろ5月6日以降のスケジュールを攻略しようか。

わたしは、11年前、脳出血を起こして3週間の入院、退院後、半年間のリハビリ療養生活経験を持っている。

あの時は、発病から入院中、退院後とほぼ、半年間の半分、つまり3か月は、自分ひとりでは何にもできず、脳の障害からくる重い後遺症との闘いで、今までの自分を継続することは不可能だと知った。残りの3か月は、もうひとりの自分を産み落とした決意で一生懸命生きていた。

で、なぜ、半年間という猶予を自分が持っていたのか?ということだが、身体の麻痺の改善には半年間という一定の改善ルールがあり、それを越えてしまうと、どんどん患部が固まり始めてしまう。そうなるともう、いくらリハビリに精進しても後の祭りなのだ。

だから、半年という長い療養期間を無駄なく、リハビリに没頭した結果、半年で勤め先の会社にも復帰できた。長い休みには人生の「ターニングポイント」となる、何等かの意味があるものなのだ。

さて、このところのTV報道を観て思うことを少し。

今回のコロナ感染予防対策での「自粛」はそれほど、厳しいものなのか?外に出てくれるな!と言われているのに、なぜ、サーフィンしに海へ~そして道路は大渋滞。パチンコしに町へ出て行列が発生している。

別に今、行かなくてもいいのじゃない?TVで集中砲火されて流される映像に怒りが湧くのはわたしだけ?いいや、そうではないだろう。民度の問題は深いのだなと、つくづく感じている。

今、遊ばなければいけないとばかりに、一生懸命、自分のご機嫌ばかり取っているようにしか見えない。「わかってますよ~」と言いながら、背中向けてベロ出してる感じさえする。

生活に欠かせない仕事、医療関係などではなく、自粛をする必要があるならば、一斉にやらないと意味がない。長引いてしまうだけだ。

自身の自粛生活も一ヵ月を過ぎた。そろそろ5月6日以降の自分の動きもシュミレーションをしてみようと考えている。緊急事態宣言が解除できずに延長するやもしれない。そうなったら、営業の仕事には出られないなど、様々な場面を想定する必要がある。

なりゆきを優先するのではなく、あらあら考えていた想定内での行動になればいいのだ。せっかくの自粛生活を体験したのだから、そこから学んだノウハウを生かす5月となれば最良だ。

※当ブログは当面、休止いたします。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

2020年5月

自宅待機中は時間割りで過ごす。

3月末から完全休業中。営業に出なければ、流行りのリモートワークだとか、在宅での周辺事務作業は、全く発生しない。

近所のパンケーキを食べに逃亡する。

だから、自由な毎日もすでに16日目。8日、緊急事態宣言が出てすぐ、会社からは5月8日までの長期休暇になるとの指示が出た。

雇用、保障ともに継続なわけで、安心なのだが、いささか辛い。長く家にいるってことが、こんなにも窮屈だったなんて(泣)

ふだん、外営業で、人に揉まれてクタクタだった数十年。今、人生の暇(いとま)を頂いたのだと思い直し、無理や無駄なく賢明に過ごそうと、8日から毎日、小学生のように、時間割りを組んで過ごしている

家から徒歩5分の都立丘陵公園(10日 早朝撮影)

早朝には、近所の都立公園へウォ―キングに行き、運動不足を解消。ついでに趣味のカメラ撮影もやる。で、朝9時からは、だいたい1時間ごとに、経済、宗教、ITなどの様々な分野の本を読む。

いずれ、レビューを書くつもりで、がっちりと読み込んでいる。45分読んだら、お茶にしたり、瞑想したりと靜かな学びの時間なのだ。

午前の3時間は黄金で、今、作っているサイトの準備や以前の記事のリライト、広告の勉強など、いくらでもできるから、やっぱり規則正しい時間割りは役に立つもの。

朝、軽く歩いているから、適度に頭や身体も血流がよく、丁度いい具合で読んだものが頭にスルスルと入る。

午後は夕方まで、PCを使って、オーケストラやオペラの動画配信を1時間ごとに組んで楽しむ。5時まで4時間あるから1時間は、音声だけにして、画面はSNSのネットサーフィンをするの(笑)もう、だらだらサーフィンは過去のこと。

夜8時以降はオンライン学習を1時間するか、kindle読み放題で電子書籍を読みながらJazzを聴く。で、11時には就寝。

今日も、これから、新国立劇場の配信で、オペラを1本観よう。

今日の唯一の仕事は、来月出版が決まった書籍の「表紙」の相談をするぐらい。昨日は契約すべてを終えた。

時間に余裕があると、夫がご飯の味が良くなったと言うし、布団を干す機会も増えたね。コロナは本当に怖いけれど、気持ちの持ちようで随分と違うもの。

新しいコンテンツを生活に取り入れてみて大正解。3つほど、ここに案内をしておこう。

https://schoo.jp

https://www.nntt.jac.go.jp/release/detail/23_017336.html?fbclid=IwAR0ZxNzJB

Amazon kindle 読み放題(30日間)、オンライン学習スク―、新国立劇場オペラ動画配信。

これだけ、詰め込むと意外と忙しくて、夜もぐっすり眠れている。頭と身体の適度な疲労が大事かな。

今回は、長い休みの過ごし方でした。

そうそう、上の3つはすべて無料よ(笑)

コロナ太りじゃなく、コロナ疎開でもない、コロナ事情

仕事のことを書くのがWordpressブログだったのに、いざ、こんなにも仕事を休むと頭が空っぽになるもんだね。

というわけで、東京の中でも西の端に住んでいるのだが、コロナ感染者数もわずかで、疎開をするほどでもない。コロナ太りを避けるために運動かたがた、昨日、図書館にリクエストしておいた本を取りに行った。村上春樹・著「ダンス・ダンス・ダンス上・下」だ。

我が家の蔵書の多さは、今まで、何度かブログにも書いてきたが、今の家に引っ越した時に処分した本は約2000冊あまり。ブックオフの出張買い取りで得た現金は、引っ越し費用の一部に消えた。その前にも、数回の引っ越しのたびに大量の本を処分してきた。今、また、少しづつ増えている書籍類。電子書籍のストックもかなり多め。ま、それは空気と同じだから、問題なしだね。

おもに、元SEの夫の本。わたしのものなんて、100冊もない。もっぱら借りる派で、図書館で毎週10冊借りる。このペースをもう、15年以上やっている。図書館はわたしの外付け書棚だ。だから、せっかく買った村上春樹氏の作品も、読んだらどんどん手放してきた。

今回は、突然降って湧いた休日に、今まで持っていなかった観点で、「村上春樹4部作の読み通し」という、ひとりイベントを入れてみた。

村上春樹 4部作とは。

1、風の歌を聴け(デビュー作、群像新人賞受賞)

2、羊をめぐる冒険

3、1973年のピンボール

4、ダンス・ダンス・ダンス(上・下)

いわゆる、村上氏が愛してやまない主人公「羊男」の人生をこの4作品で描き切っているのだ。で、今週の自宅待機が始まった1日に図書館にリクエストしておいた。

まず、一番最後の「ダンス・ダンス・ダンス」が来ちゃったので、読みふけっているが、文庫は正直きつい。文字の多さ、紙が薄い分透けて、夜、読むのには合わなくなった。

昔、手放したのはすべてハードカバーだった。目の衰え・・・歳を感じる読書難だわん(泣)

なぜ、「羊男」なのか?とか、あらすじなど、気になる方はぜひ、書籍を読んでほしい。そして、わたしと語りあいましょう(笑)ここに、羊男のセリフを一節。

「踊るんだよ」

「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言っていることはわかるかい?踊るんだ。踊り続けるんだ。何故踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。」

「それもとびっきり上手く踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」

どう?いいでしょ。狂った空気感が。しかもハッピーエンドなのだ。

ここからは、大好きな村上本の紹介。一番好きな本はこれ!

村上氏が撮る写真。表紙の主役は可愛いワンちゃん。

「もし僕らのことばがウィスキーであったなら」文庫を探してやっと手にいれた、旅&お酒のエッセイ。著者自身が撮影する写真も素敵な一書だ。

村上氏と言えば、シングルモルト愛好家、ワイン好きとしても良く知られている。この本では、アイルランドの頭上、アイラ島の伝統的なシングルモルトを味わいに行く旅の本だ。

彼の旅のテーマが「お酒」であることは、珍しくもない。わたしも真似て、一昨年、京都は天王山サントリー蒸溜所でのシングルモルト体験をしてきた。

写真向かって左のがアイラモルト。3種類選んだ。リザーブ旨し。

アイラモルトは、ものすごくまずかった。ヤバい薬草の味で、ワンショットも飲み切れず。チェイサーの天然水をおかわりしたほど(笑)

でも、なんだかこれだけでも、村上氏の旅に近づけたようで、嬉しかったな。

本から得られる効能や味わいは、知識や見聞だけでなく、著者の持つ、独特な息づかいだろう。まったく知らない世界を見せてくれる。だから、本読みはやめられない。

もちろん、お酒もね。

ビジネス本を好んで読む理由。

5G時代が到来した。通信速度が飛躍的に上がることにより、大きな進化が期待されるデジタルサイネージとは・・・(Harvard Business Review 3/26配信より)

外出自粛中のわたしの今(笑)

わたしは、お金の管理や計算があまり得意じゃなく、普段の家計管理もちっちゃなノートに科目を書き出して、月末に集計するのみ。もっぱら自動レジスタは頭の中の記憶だけ(笑)

だから、好きな文章が書けて、そこそこ生活できればそれでいいと最近は思っている。もう、教育費もないし、面倒をみる親も全員看取った今は、肩の荷が下りたというか、降ろせたのだ。

こんなどんぶり勘定でも、ずっとなんとか人並みの生活が送れている影には、会計や簿記の資格を持つ夫の手腕があってのこと。

だって、家計簿アプリの相談をすれば、「じゃあ、勘定科目をすべて羅列してよ!」と、意味不明のことを言われちゃうから。

だから、どんぶりさんとしては面倒くさくて、「ノートに書けばいいじゃん!」と、ずっと何十年も進化していないわたしだ。

しかし、なぜだか、ビジネスの話やビジネス本、先に引用したような、最先端技術の記事には目がない!というか興味津々になれる。

おしゃれや美味しい物、トレンドを追うのと同じ目線の自分がいる。要するにワクワクしちゃうんだ。

どうして、そんなにわたしはビジネスの話が好きなんだろう?と、あらためて考えてみた。

まず、好きなことをして生きていくには「お金」が必要で、ビジネスとは、そんな「お金」を生み出す仕組みだ。

夢や好きなこと、行きたい所は暮らしの中で、どんどん生まれていく。それは、お金がないと手に入りにくい世の中なのだ。「仕事とお金」の原理は、子どもの頃からずっと、考え続けてきたわたしのテーマだったのだ。

きっとわたしは、ビジネスそのものを「今、頭の中にあること」を実現化させる力として、普段の生活に落とし込んで生きたかったのだと。

世間が簡単に自分を「養う」はずがない。それ相応の雇われ方をするのはもっともだ。だからこそ、自分の仕事を作ることは、何よりも夢中になれるし、最高の生き方だと思い続けている。

いくつになっても、自分にとって、「本当にやりがいのある仕事」の更新を続けていくだろう。そんなわたしに知恵と勇気を与えるのがビジネス本なのだ。

一冊、1500~3000円ぐらいで、最高の教科書が手に入る。しかも、それは廃れず、10年スパンで使い続けられる、稀有なものなのだ。良質な食事、睡眠、メンタルを鍛える、ビジネス脳を刺激する芸術鑑賞の推進など、学ぶべきことがらの多さに驚いている。

文章もビジネスのプロジェクトも、成功のカギは「共有」の一言に尽きる。だから、細やかながらもこのブログには、大事だと思うキーワードや、書籍の情報を書き綴ってきた。

ビジネスの持つ力は普遍で、誰にでも持てるものだと信じている。仕事休みの日には、キッチンで、コトコト煮物をしながら、社長たちの奮闘を味わうのが至福の時間なのだ。

今までとは違う、自分や仕事を定義しなおすには、ビジネス本を読むのが一番。それも紙の書籍が一番いい!

なぜ、電子書籍やkindleより、紙の本が良いのか?この観点は、またの機会にぜひ、取り上げて書こうと考えている。

では、また。(1327文字)

外出自粛の朝はまず、買い出しからはじまった。

昨晩8時の小池都知事の発令を受けて、都心で働く息子からメールが。「米の買い占めがはじまった」と連絡をもらった。首都封鎖が現実味を帯びてきた。

現在、構築中のサイト。

どうせ、夜、遅くに買いに行っても、品出し隊が常駐してるわけではないから、棚にはもう、お高いお米しか残っていない。パンだって同様。

だから、焦らず朝イチで買いに行こうとゆっくりと眠ったのだ。もう、買い物も攻略せねばならないご時世(笑)

わたしが週末に行くスーパーは、市場の前にあり、両横にドラッグストアとセブンイレブンがある便利なお店。しかも朝7時30分開店なの。

普段の週末なら7時に家を出て、ゆっくりと市場で新鮮な野菜や肉、魚を仕入れて、スーパーで調味料やお菓子やお酒などをいっぱい買い込んで、セブンで一服して帰るんだけれど。

今朝は7時15分に出たらバイパスが大渋滞。回り道をしてなんとか7時30の開店に間に合った。しかし、駐車場もすでに満車、開店の行列に並んでカートを引く。

みな、黙々と食品を買い込んでいる。わたしも、必要だと思われる食品と、4月用のお米、🍺、コーヒー豆、キッチン洗剤、香辛料などを手に入れた。

必需品の緑黄色野菜の色々をカートに入れる。食パンやお豆腐、卵も忘れずにね。でもいつもの買い物。買いだめには程遠い。

いつものお店だから、何がどこにあるか分かってるぶん、速く見つけて買えるのが利点。

それでもちょっとぐずぐずしていたら、あっという間にパスタソースの箱が空っぽに!もちろんパスタはすべて売り切れ。わずかに残っていたマカロニを一袋入れる。どんどん買われていく食品。すごい勢いに圧倒された。

食料品は調味料やお米、飲み物など重たい物が多い。トイレットPみたいに買い占めはできないよ。

丁度月末だから、必需品を買い求めている感じ。ああ~買い出しに奔走した早朝だった。

というわけで、今朝買い物から帰って、会社からのメッセージを受け取り、今日、明日は営業活動停止となった。

図らずもわたしは、24日から月末まで春休み中だから、先方との約束も会議も一切なく困ることもない。

まあ、4月1日、新年度が気持ちよくスタートできることを念頭に、一刻も速い自体の終息を願うのみだ。

さて、この春休み中、Wordpress.org の構築を進めている。(このブログはWordpress.com)

タイトルバックの写真は今、カスタマイズ中のサイトテーマ。今までのブログと、書籍案内、そのほかのコンテンツをいくつか並べて、総合サイトにレベルアップさせたい。

昨日はレンタルサーバーのサービスの比較をずっとやり、巷で名高いサーバーだけでなく、様々なサービスの検討をしたら、素敵なドメインを格安で取れるレンタルサーバーを見つけた。

こんなに時間があることは多分、あまりないだろうから、ゆっくり丁寧なサイト構築をして楽しんでいる。睡眠も栄養も充分取っている。でも、一時も油断できない都民だからねえ。

外出自粛になって、こんな感じでやっています、の報告でした。ではまた。

書く仕事のことを書く。

テーマ依頼されていた「書く仕事」の書籍原稿が今、書きあがった。

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春うららかな今日。当初の予定通り、第一稿が書きあがった。午後からは年度末の営業に出る。ブログのタイトルが村上春樹の著作みたいでしょ?!

今回は、先方から「書く仕事」というテーマを頂いていたから、あくまでも仕事に結びつけながらも、「書くことの持つ魅力」を最大限に引き出すことに注力した一冊だ。

わたしのライター時代(3年間)の実績を元に事実に誤りがなく、それをわかりやすく伝え、なおかつ読んでいてちょっとだけ面白い内容になるように工夫したつもり。

まあ、これこそ文章力?のなせるワザだ(笑)書くものに完成度を求めてないわけがない。表現者としての楽しみは、考えていたことが上手くレイア―して、めくるめく内容の濃い文章になることだ。

それを読み直す醍醐味。思わずニンマリするなんてことも、ごくたまにだがある。書く仕事をやっていてよかった・・・と、感じる瞬間だ。

今回の書籍が発売されて、誰かの目に触れ、その誰かの生き方にまで影響が与えられたら本望。ヒントにしてもらうことが大筋の目的なのだから。

なぜ?

どうして?

今、このテーマで?と、何度も自問自答しながら構成した。

会社組織に属するだけではなく、自分の仕事を手元で展開できる新しい働き方の提案を散りばめてみたのだ。図らずも「コロナショック」の最中で緊張感あふれる3週間での執筆だった。わたし自身も仕事先への不安が急速に浮かび上がってきたのだから。

以前、出した書籍の依頼を受けた時も、「女性活躍推進法」の施行と重なり、「女性の仕事関連」の本となった。

やはり、本を書く時は、なにかしら啓示のような指示依頼があるのだと今さらながら時流に驚きを感じている。

こういった波には大いに乗って、思う存分表現したいものだ。

まだ、出稿したわけでもなく、週末はお楽しみの推敲タイム。ゴリゴリと書き直しをする。ここが一番楽しい。

自分の一番の読者はわ・た・しだもの。

わたしが楽しく、あっという間に読み終わるように推敲しよう。ほんと、楽しみだわ。

chromebookを買った。

今や世界中で、新型コロナウイルス感染での自粛モード。国内でも観光施設の休業やスポーツ観戦、イベントの中止が相次ぎ、当分どこにも行けそうもないから、思い立って、流行り始めたばかりの、chromebookを昨日買った。

昨日、手に入れたマシン。

昨日のこと、客先の大手書店様から、3月いっぱいの訪問営業停止との発令を受けた。こんなことは始めて。しかし、一刻も速い終息を迎えるには、あらゆる現場判断が最も必要だろう。一方、WEB界隈では、一斉休校に異議を唱える書き込みが後をたたない。理由は単純で、今の感染症騒ぎの中でだが、世の子どもたちは、外へどんどん出始めていて、なんの自粛だろうか!って怒ってんのよね。そしてこれは、単にWEB上の話だが、今や、TVの情報よりSNSなどの書き込みが他の多くの人の行動にも大きく影響していると思えてならない。

このなんとなく自粛モードというのは、災害のときなどによく現れる現象だが、その時に必ず起こるのが、景気が非常に悪くなり、GDPが年率換算10%前後下がってしまうことだと、今朝ある経済情報ジャーナルで読んだ。

景気が悪くなるから雰囲気が悪くなる~雰囲気が悪くなるから、ますます景気悪くなるという悪循環が起こってしまうのだと書かれていた。

で、昨日の朝、思い立って、今月、TVCMが始まった、話題のchromebookを買いに夫と家電量販店に出向いた。小さな景気の循環に役立てばとも思うし、何しろ、真新しいデバイスが欲しかったんだ(笑)

chromebookでjazz pianoを聴きながら早速、原稿執筆中。サクサク快適。

気分の問題だけど、スマートスピーカーのアレクサを買った時も、スマートウオッチをもらった時も、すごく嬉しくて毎日に張り合いができて楽しかった。家で、そんな新しいものたちに癒され、外にも颯爽と持ち出して、新しいデバイスとのささやかな暮らしに当分はシフトしよう。

可愛いchromebookと遊んでいるうちに、急速にコロナが萎んでくれればなあ。

パラダイムシフトなのか?

新型コロナウイルス感染拡大での数々の防止対策。テレワーク、在宅勤務、全国一斉休校。これこそが、パラダイムシフトなんじゃないだろうか?

2019年度、ワインアワード銀賞の一本。春になったので開ける。

パラダイムシフト」とは今までの考え方や価値観が180度変わることを示す。明治維新や産業革命、スマートフォンの普及などがパラダイムシフトにあたるのだ。

今週は、全国一斉休校となった影響で、客先の書店学参担当は、皆大忙し。学習ドリルの完売が相次いだ。売り場は、親子づれのお客様でごった返している。無くなっているものは、マスクやトイレットP、レトルト食品ばかりじゃなく、学習教材もいわずもがな・・・。さて、パラダイムシフトの話をしよう。

脳出血で倒れた11年前。その時、3週間の大学病院での入院中、パラダイムシフトを体験した。それは、ICUに駆け付けてきた息子の持っていた携帯電話が、iphoneに変わっていたことから始まった。ベッドサイドでそれを見た時、思わず「いつ買ったの?」息子は「お母さんが入院した日」・・・と。それから、お見舞いに来て下さった多くの方々の中に、少しずつ iphone を持っている人が増え始めて、わたしが倒れている間に津々とその数は病院内でもどんどん増加していったのだ。「時代が急速に動き始めた予感」が、病気で混沌としていた頭の中で駆け巡っていた。極めつけは、退院前日に見舞いに訪れた、わたしの上司(当時33歳・長身でイケメンだ)が、帰りの電車の時間を検索するといって持ち出した iphone !

もうね。一刻も早く立ち直りたくて、たまらなかったよ。救急で運び込まれた時のアクシデントで、わたしの携帯電話は悲劇的にも破損してしまっていたのだ。だから、早くわたしも iphone を手に入れなければ!と、半ば強迫観念が働く心境だった。しかし、慌てることはないよっと、夫にたしなめられて「ちぇっ」と。とりえあず、壊れてしまった携帯電話の代替え品を手に入れたのだ。憧れの iphone・・・。時代の波に乗りそこなった。

その時代や分野において当然のことと考えられていた認識や思想、社会全体の価値観などが革命的にもしくは劇的に変化することをパラダイムチェンジとも言う。このチェンジをスマホというデバイスで叶えたかっただけだったんだ(笑)

今回の新型コロナウイルス感染での影響による働き方や、それに伴う家族の在り方・暮らし全般など、今まで通りが、通用しなくなった。

SNS、AI、ポスト大量消費社会のゆくえ、人生100年時代、働き方の変革など、今後、誰もがいやがおうでも注目せざるを得ない、激動の時代を迎えたんだと感じて、これを書いている。と同時に、時代の気分をすくい取る視点の鋭さを持たなければ書く意味もないだろう。誰もが感じる違和感、不安感、逆に希望的観測などを、Wordpressでは書き記しておきたい。

わたしが、エッセイの軸として採用しているのは、もっぱら自分自身のエピソード、いわゆる実体験だ。事実の話を書けるぎりぎりの状態で表現するのがわたしの文章の持ち味だと自負している。

発想、それ自体が実体験で人まねではない。だから、ネタが尽きることはまずないし、書くことで脳内整理ができ、いつも頭の中はスッキリ(笑)

新型コロナウイルスやこの数年の大規模自然災害など、新しい時代を産む苦しみは、ある意味、出産と同じなんだと悟った。角度は違えど、様々な苦しみに彩られているのがとても似ているから。しかし、ここで踏ん張ることで、国も民衆ひとりひとりにも、大きな学習体験ができるんではないか?との前向きな期待感も生まれつつある。

「誰やがら 形に似たり けさの春」松尾芭蕉・俳

~初春らしく身なりを整えると、それらしく見えるもの~

まあ、新しい服でも買って、気分転換で免疫力アップ!コロナを征ばいしてやるわ(笑)

(1577文字)

自由でいる以上のセダクションがあるだろうか?

今、前代未聞のコロナウイルス感染の自粛態勢でリモートワークに勤しむ。

エドワード・ホッパー・画

 今まで、こんな不自由な仕事環境だったことは一度もない。営業マンにとって、時差通勤ならまだしも、自己判断の元、自粛態勢のなか、3月の勤務体制が決められずにいる。

 タイトルの通り、本当の自由とは規律の中でも自己の判断が出来て、納得の生き方ができる環境だろう。今、一番欲しいものは、現金より、細菌の撲滅、コロナの一刻も早い終息をみること。それまでは、自由のセダクション(人を惹きつける力)を放つことはままならない。

普通にマスクなしでの外出が可能になったら、一番時間を取って行きたいのが書店だ(笑)仕事で訪問するのではなく、じっくりと英知の詰まった棚をぐるりと見て周りたい。

 「そこにある本の数だけ、人の考え方がある」と、思うだけでワクワクが止まらない。WEB書籍ではわかりえない行間がそこかしこに溢れているのだから。

 一万人の書籍を揃えている書店であれば、いわずもがなだろう。素晴らしい知恵の泉は、わたしの考えるセンスの源を探す油田さながらなのだ。

 掘れば掘るほど溢れる泉。コロナのおかげ!なんてことは絶対にないだろうが、この際、ネットからしばし離れて、過去から現在に至る偉人の知恵を貪るのも良い。

 書店は、店の存続をかけて、民衆に英知を自由に与えているのだから、それをわずかな金額で手に入れられるし、貰わない手はないよ。時間がない場合は、5分でも高速でぐるっと回るだけで書店の英知を肌で感じることができるだろう。

 ネットの情報は色々だから。

しっかりとした情報の出典が今後、物凄く重要になる。

それをサイドから支える書店の役割は本来、絶大なものなのだ。そこに入り浸りたいのよ~♪

執筆雑記・7

事業転換を果たすのは今。

我が家の裏で収穫したふきのとう。

昨年末から従事してきた、紙書籍の出版から降りて一週間。今もずっと考え続けていることがある。それは、紙の書籍にしなければならないという一般的な概念が大きく崩れてきた今現在。

 それでも紙書籍は莫大な費用の元、現前と作成され続けている。

わたしもずっと紙の書籍を出したいと願ってきたひとりだが、いざ、出せることになったら、「もう、いい。これからは電子出版で」という心の声がずっと響いていた。

おりしの出版不況を肌で感じてきたこの数年。

いくら、敏腕編集者が手を入れて素晴らしいといわれる書籍を作っても、契約期間があり、それを越えた書籍は例え有名な作家のものであってもアッサリ処分されてゆく運命だ。

レガシ―な出版社のネームに必死にしがみついても人生のちょっとだけの思い出になりかねない。

わたしのような、無名の文筆家が出した紙の書籍も末路はいかばかりか。だったら、WEBの中で生きるバーチャル書店に並んでいて、それなりの金額で売れていくほうが自分には合ってるなと。そんなわけでもう、紙の書籍へのこだわりはなくなったというのが今回出した結論。

3年前、初出版で出した電子書籍は、未だ紀伊國屋書店をはじめとする大手書店&WEB事業社のWEB城で、しっかりと販売されている。毎日一冊でも売れて誰かのためになるのならそれで良しだし、何と言っても、リアルだと棚に入ってしまう書籍がWEBだと、表紙は面出しで、帯とレビューまで一瞬で見える。これはすごいかもよ。

ただ、今回の一番の収穫だったことは、一冊分の原稿を持てたことと、編集者の講評付きで加筆・修正をすれば充分、商業出版に耐えうる作品になったこと。この2点だけでも凄い収穫だ。より迫真に迫る書き方のアドバイスも頂けた。紙での出版は実現させなかったが、プロの一定の判断がついた作品を持てることは書いて良かったことなのだ。

と、こんなわけで、これからの仕事の修正もしてみた。

① 現在の本業(出版営業)では、売れるところへしっかりと紙の書籍を売る(攻めの姿勢で)営業冥利に尽きる仕事をあと10年は続けるのが願望。

② 文筆は電子書籍中心で。(あくまでも書籍の執筆をしたい。3月から2冊目の電子書籍の執筆に入る)

③ これまで通り、大小さまざまな文学賞に応募を続けていく。(これは一生続ける意味のある挑戦)

末永く書き続けていくにはより良い戦略が必要だ。これから、どんな戦略を立てていくのか?このあたりをWordpressブログには書いて行こうと思う。

激動の時代だもの、大いに荒波に揉まれよう。

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